退院 3週間目

食べることができなくなり、水を飲むのもやっとの状態になった。水分、栄養補給のため、自宅での点滴が始まった。この時点で、主治医が入院していた大学病院の医師から訪問医に変わった。

前回の診察では、白血球数が一桁だったとのこと。4000〜9000が正常値だ。また、背中に痛みがあることには、臆さずオキノームを使って良いということだった。激痛の対処法かと思っていたので、母には申し訳ないことをした。母の最初からの願いは痛みなく死ぬことだ。輸血三本、約7時間ベッドに寝ているのみだ。

次の日、看護師から痛み止めのオキシコンチンとオキノーム以外の薬をやめることを提案された。嚥下が難しいことから、たくさんの薬を飲むと誤嚥などのリスクが上がるからだ。週末だけ飲んでいた抗がん剤メトソレキテートも停止の提案だった。

また、食事も水も十分にとれなくなって、輸液の点滴も始まった。

 

そして病院に行くと、看護師の提案通り、不要な薬はすべて中断となった。不要な薬とは、2、3ヶ月先を見越しての主に抗菌剤などと、抗がん剤。飲むこと自体にリスクがあり、飲む必要性がなくなってきているからとのこと。余命を聞くと、あと数週間だろうとのことだった。

 

ストレッチャーで看護タクシーで帰った。トイレに行きたいと言うので介助しようと思ったが、まったくできず、2人とも床に倒れてしまいそうだった。そこに父が来てくれたからよかったものの、けがをさせるところだった。私はもう手伝えないと思った。それに疲れ切った父の顔を見て、もうこれは無理だと実感した。母はオムツを嫌がり、オムツをしても排泄しないので、父は夜中に3、4回起こされ、トイレに連れて行っていた。自営業をたたむことにしていたので、最後の忙しい時期で、土地の売却、新しい家を建てる準備も並行していた。

帰りの車の中で父も母の面倒を家でみるのはもう無理だと、入院していた病院に帰ろうということになった。